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ファン・メーレヘン贋作事件

 古代ギリシャのアペレスが無名の貧しい友人のため,友人の作った彫刻にアペレスの名を記したのを始めとして,洋の東西を問わず,美術品の贋作は枚挙にいとまがない。中でも人々に衝撃を与えたものは,オランダの画家ハン・ファン・メーレヘンが第2次世界大戦終了後の1945年5月29日,ナチス協力者として逮捕され,重い処罰を受けることになったために明らかにした真相であった。それはドイツ軍がオランダ占領中の1942年にヒットラー配下のヘルマン・ゲーリングが165万グルデンで買った「キリストと姦婦」は,実は著名な画家ヨハネス・フェルメールの描いた絵ではなく,メーレヘン自身の贋作であるというものであった。極貧の中で亡くなったフェルメールの死後,競売に掛けられた彼の作品のうち最も高価なものが200グルテンの「デルフトの風景」であったのは何とも皮肉な出来事であった。

 この唐突な話は誰も信じなかったが,メーレヘンはアムステルダムの獄中に於て,美術専門家等の前で新たな贋作制作を実演してみせることによって彼の主張の正しいことを証明した。そのあまりの見事さに絵画芸術の奇蹟と讃えられる程であった。そうなると,著名な美術史家によって本物と鑑定され,ロッテルダムのボイマンス美術館に買い取られた「エマオの弟子たち」の真贋が深刻な問題となってくる。美術鑑定家の権威に拘わる問題であるからである。このような場合,贋作者の証言とは無関係に作品の真贋を科学的に判定することは可能であろうか?

 例えば,作品に使用されたカンバスや絵の具がフェルメールの生きていた時代には存在しない新しいものであることを証明できれば,それが贋作であることは明白となる。この問題を解決したのはカーネギー・メロン大学の研究者たちであった。この事件以後,美術作品の真贋について科学的検証を行った上で,美術専門家が慎重に鑑定する様になった。

 カーネギー・メロン大学の研究者たちが用いた方法は、絵の具として使用された顔料に含まれる鉛を分析する事であった。鉛の大部分は安定な208Pbなどだが、自然に放射線を出して崩壊する放射性同位体(210Pbなど)が微量含まれており、古い顔料ではこれらの崩壊が進んでいて、鉛全体の中での割合が減少している事になる。彼らは 210Pbの量を測定することによって、使われた顔料がいつの時代のものか推定し、贋作であることをはっきりさせたわけである。彼らはこの減少の様子を1階線形微分方程式というもので表現したが、1階線形微分方程式の詳しい話は又別のコーナーに掲載する予定なので、興味ある人はそこで勉強しよう。